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白昼夢。

夢のようで夢ではない夢。 現を願う夢。

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にゃんぱ...っ

本...くれ...にゃ...



血。

 今またイベントやっているみたいです。
 よりによって今。
 しかも地図を見たら


 この前俺がにゃてんしゲットした梅田地下の某通路じゃないですかぁぁぁぁぁ
 俺ここ何度も通ったし!
 夏イベといい秋いべといいハロウィンイベといい
 こうも華麗に大阪行き日程とすれ違うッ
 あとッ
 あと1,2週間遅ければ...ッ
 どうしてこうなった...どうしてこうなった...!

 今ッ...俺の中の全細胞が絶望しているッ!!!

 グハァッ




怪。

 こんな事いうと というか自分でも変態じゃないかと思ってしまったんで迷ったのですが。

 めざましの特集でね、今流行のファッションやっていたんですよ。
 渋谷ギャル?あの周辺の女性が、いち早く新しいものに手をつける事ができるのはわかる。
 でもまさか『怪獣ギャル』なるものが流行りだすとは思わなかった。

 尻尾?は結構前からあったと思うのだけど
 東京に行った時もくいずんがつけてきてくれて楽しかったし
 お遊びで尻に付けるってのもry
 ともかく通常は単品で腰の横に付ける...ンだよね?

 まさかのまさかだよ...
 耳を見立てたスカーフだかフードだかもあった気がする
 両手両足まで粗同じデザインのふさふさ装備で。

 撮影カメラに向かってがおーって叫ぶ3人のギャルを見た瞬間何かが崩壊したんです

 ファーものは好きです
 人が獣っぽく装う事にさほど不快感を覚えた事もないしその逆もない
 以前のファーヘットもかーくんを意識したからで
 ふかふか装備も一言でいえば夢見心地装備です

 あー俺猫耳とかおたくブームを毛嫌いしていたんじゃなくて
 まがい物だったり見世物だったり釣りでつかわれたりで
 中途半端に具現化して現実にする夢も希望も味もないものにいらつきを覚えていたんだなって
 今わかった
 全部言ってしまうと夢やら創作と 現実やら実物やらは別だしね
 口では変なこと言う人でも実際に会うと面白かった なんて人は意外と多い
 頭ん中で妄想が働くのも欲求やら本能からして当然の事だからね
 それを自分で否定するのも可笑しな話だし

 夢と現実は合い交えないもので
 現実は現実以上でも以下でもないほうがいいし
 夢も夢以上でも以下でもないほうがいいと思うの
 目標・希望・理想、そういう言葉の取り違えで色々誤った解釈が起きかねないけれど

 目標は達成すべきもの 希望は叶えるべきもの 理想は想うべきもの
 現実←→夢
 
 目標は自分に課すノルマであったり
 常に達成しなければならない事を意識させたりするけれど
 理想はあくまで こうあったらいいなぁと思う事に過ぎなくて
 何かに対する理想から 全てにおける漠然としたものまであって
 それは自分の持つ話の一つだと思うの
 現実にしたらその分だけ崩壊しちゃうと思うんだ
 理想を現実にした人なんて身内にいないからわからないけれど
 抜け殻みたいになっちゃうんじゃないかなぁ


 ともかく
 獣は相変わらず大好きだしふかふか装備も好きだけれど
 猫耳猫尻尾とかそういうのをつけたキャラとかそういうのは
 特に3次元では この事で余計に嫌いになりましたとさ

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宿題

月末までに全部見ろゆわれたけど無理です^p^



序。

 超時空要塞マクロス エヴァンゲリオン ガンダム ハルヒ 後忘れた

 どれでもいいから一つ選んで見ろーゆわれたけど


 いやいやいやいや

 JOJOは好きで全部見ましたとも
 今やってるやつは追ってないけどね

 やっぱうちの研究室凄いです いろんな意味で
 どこぞの理科系大学研究室をモデルにしたオタクのためのアニメ?が有名でしらぬ方が不思議らしいのです
 ガンダムやハルヒ等が当然のようにネタとして扱われるらしいのですが
 いやそんな趣向のアニメがあることすら知らんかった


 皆が皆じゃないし 個人的には言われるまでそこまで個性的な人たちには見えないし
 というか皆人ができてる心からの美男美女なんですが

 まぁこういう言われは弊害があるのだろうけれど
 アニメ見ている人が―というわけではないしね
 皆趣味の見せ方みたいなものをわかっているんだろうなァって
 聞いた話しじゃガンダム専用のガレージを持ってるらしいし
 物凄く興味があるのだが 何かを一身に好む者として

 例外的に不器用な先輩もいるけれど
 楽しさ―もしくは楽しんでいること―を伝えたいんだなぁということが物凄く伝わってくるのだけれど
 あまりにも早口で 内容やらあらすじやらをべらべら喋って
 時には見ている最中に普通にネタバレ解説もするらしく

 マニアもオタクも一言でいえば物好きなんじゃないかなぁって
 似たような人でもそういういわれを受けないうちの先輩方みたいな人もいるし
 この二つにいつも黒いものが付きまとうのは事実

 特別興味が持てたわけではないけれど
 こういう話をしている時の先輩達が実は一番好きだったりする

 楽しいもの 傍にいて本当に安心する...




本。

 十二国記のね
 官吏を見てて思うんです

 なんだか哀れだ と
 それを幸だ不幸だというわけではなくてね

 こういうシステムが実在するとすれば
 この感情は本当に失礼だとは思うんですが
 あくまで創作ですし
 それ抜きにしてもね


 先ず
 十二国記では各々の王は麒麟が天命を以って選びます
 世襲、および先王の家系の者が続投ということはありません
 それが名君とは限らないから
 後光を受けて育った社長の息子を想像してみるとわかりやすいと思います

 そういうわけで一度就いた名君が果てられては困るので王には寿命がありません
 尤も 名君も傑物とは限らないので 道を誤れば 麒麟の失道と共に天命が尽き 斃れます
 もしくは首や胴を断たれても死にます

 王の下に仕える官吏等も当然不老不死でなければなりません
 このような者達を仙というのですが
 仙は基本的に病にかかりません
 前述の通り断たれなければ死にません
 失道云々がない分 王より永らえる事が多いようです

 天意が下ると言われますが その辺りは定かではないようです
 作中では 天帝を試すが如く 老若男女構わず虐殺し悪政を極めた州公が登場しますが
 景王陽子がこの事実を知り己を捕らえに現れた時 ようやく天の裁きが下った事を確かめたようです
 そしてそこで 天意とはそういう物だと。
 天帝他天上のあり方については謎が多いようです


 長くなりましたが
 つまり僕が言いたいのは


 王 仙・神籍の者達は 自らの失態や他者の恨みなどでしか死ねないのではないか


 他に思い当たる限りでは 日本武士道でいう誉ある死 勇敢な死
 いわゆる戦死ですね

 補足ですが
 十二国記では一国が他国を攻め入ったり たとえ救済の為でも兵を送った場合
 覿面の罪で王も麒麟もむごい死に方をします
 その他国の王が直接救済を求めにきて それに応えて兵をお貸しする というのはありなようですが
 その為 おそらく兵が戦に赴く大半は内乱の鎮圧等ではないかと もしくは謀反の私兵

 誉もかなり限定されると思う

 平和主義者ではないのでそういう争い事を悲しんでいるわけではないのだけれど
 他者に殺められることでしか死ねないというのは
 誰かの憎しみや貪欲さを以ってでしか死ぬ事ができないというのが
 裏を返せば 己が死ぬ時はこれ等の前である事
 もっと酷いと己が道を誤っている事

 道を正せばそりゃ死なないけどね


 俺にしてみればそれはそれで別問題なんだ
 というよりそれがあるからこの死に方が哀れに見えるんだ
 不老不死をなんとも思わない 寧ろ望んでいるのであれば
 死ぬのがこわいーって言っているに過ぎないものね


 短編集―華胥の幽夢―の『帰山』という作品に
 とある国の太子が諸国を巡り帰国し 旅の中で見てきた国々の情勢を語る場面があるのですが

 先ず
 この国は十二国の中で最も長きに渡って栄えており 王および皇后・皇太子達は軽く500年は生きています
 その前提で。

 長きに渡って数多くの王が立ち 斃れていく様を見る
 その中で 王が長きに渡って国を治める上で幾つかの山が存在すると知る

 王が立って数年は 新朝が立って間もなく 内乱も絶えず国が不安定であるものです
 私服を肥やす官 荒廃から立ち直りきっていない雲下 官選びを誤るなど
 最初の十数年を乗り切ればひとまず国は安定します

 そしてその次にやってくるのが 王によるけれど大体50年目だそうです
 つまり 本来神籍をもらっていなければ寿命を迎えているであろう年です
 官吏から昇山して王になる者もいますが
 王になれるか否かは階級ではなく天命の有無 国を治めるに値する器の持ち主であるか否かなので
 当然 昨日まで普通に下町で暮らしていたような人々からも王が生まれます
 作中の主人公、陽子は十二国とは全く関係のない蓬莱―倭・日本―の女子高生であるし
 奏国の王は宿屋の亭主、恭国の王は商人の娘です
 当然元は神籍には入っていません

 それまでは自分の年齢を数えるといった習慣を残している人もいるようですが...
 作中の奏国の王一家は冗談で『500歳も―』等と言っていますが あれはあの家族の深いつながりあっての事だろうなぁ
 とにかく その節目に一切の興味をなくすなどといった心の病のようなものが生まれるらしいのです

 なるほどと思いますね

 僕は永遠とか不死とかそういうものが嫌いなのですが
 不老は...ね?
 何時までも続く というのはある意味出口のない迷宮 もしくは牢獄に似ています
 終わりあっての始まりであり 人生だと思うのです
 何にしてもそうですが

 日本人は平均寿命が80歳といいますが
 そのくらいが丁度いいのでは というよりそういう風にできているのではないでしょうか
 国際的な展望を持っている人にはやや不足気味かもしれません
 といってもこの例えも目に見える現実的なお話です
 様々な人間性や事象 可能性や想像・創造といった話でも同様です
 限界があるという話ではないということを言っておきます
 唯、自分という一人の人間がこれ等の中から自分にふさわしい、もしくは望むものを一生をかけて背負うには
 このくらいが丁度いいのではないかと思うのです

 死ぬ事それ自体は決して祝えるものではありませんが
 生命の営みを終える寿命というものの存在
 それは生誕という入り口と対になっていて
 その出口があるからこそ生に変えようのない力が宿るのだと思うのです

 神や仏という存在にすがりたいと思ったことはここ最近では記憶にありませんが
 慈悲というものが存在するのであれば まさにこの事だと思うのです
 (ツイートの長文解釈)


 この話とは関係ありませんが
 キリスト教にしても仏教にしても
 祈るのではなく 教え つまり仏典や聖書を読んで 無理せず感じ入るものがあれば心にとどめたり思案したりする
 それが本来のあり方だと思います
 それが全て正しいとか 過ちだとか そういう見方をするものではないし
 単純に考え方だと思うから
 実際に読んだ事もないしそれらを信じた事はないけどね
 読んだから~教だとか そういう単純な話にはならない、と
 その気になったら読んでみようかなという気持ちではある
 ちなみにそういう考えで 現在ゲーテの格言集を手にしています

 

僕の本

本本本本本



本。

 いや、ね。

 なんかもうね こわい



 どういう経緯があるにせよ
 僕は僕自身の本を読んでいる 気がした

 この本、こわい
 本当にこわいのかどうかはわからないし
 こわくないのかもしれない。

 気持ちわるい



 すごいよ
 恐ろしいほどに
 カオスってこういうことを言うのかな

 この本は力が強すぎる。
 
 現代の日本を物語に押し込んだような本なんだって
 しらないけど

 それがあたりまえの様な気もするし
 幾次数でも定められないような一点の色なのかもしれないし

 僕はこれを全部読みたいのだけれど読みたくない
 読んだ方がいい気がするけど読まないほうがいい気もする




 そしてこれは何の変哲もない共通項かもしれないし
 



 なんなのこれ

気分と意思から出る絵

 あー俺だなーって思うことが常々



序。

 最近早朝の集まりがいいですのう
 いるとわかってしまえば楽しいもんです




本。

・基本顔中心
・派手なコスは避ける
・ケモがデフォ
・着色を好まない
・目的対象以外は滅多に描かない

                    etc


 荒削りが完了するまでは描きたいモンだけに絞るべきか
 表情、もしくは仕草が純粋に気持ちが現れる場所
 服センスとかで性格出したりもできるのだろうけれど
 自分にとっちゃ極端な主張だったり隠しにも見えるんで
 効率がよければいいけれど
 基本は上半身に集約される形になる事が多かったり
 等身低めならいいんだけどね


 ケモデフォは言うまでもないけれど

 派手コスはそれを目的とした絵じゃなきゃそこまで意識しなくてもいいと思ってる。
 凝りたいとは思っているけれどw
 なるだけ人間味...ケモノ味というべきか?
 夢見るのはいいのだけど
 個人的には 非現実と現実の狭間
 超現実がいいとか言いながら 自分はまだその深みを良く知らないので...こういう表現しかできないけれど
 要は もしかしたら自分も体験できるのではないかと思えるような。

 現実に隣接した世界。 この風は超現実主義の考え方に合うのだけれど
 宮沢賢治の醸し出す世界のような。


 がっさことかを試みたり 堂々と掲げたり提供したりする時は
 どうしても色が必要だったりするのだけれど
 線画を終えた時点で色々と満たされるんだよね
 出したいものは出し切ったって

 線画によるモノの形 その様子
 完成度や色彩の持つ感情要素を用いず
 その形状ニより伝わる独特な迫力は
 純粋にそのモノの訴えだけを映し出す

 気がする 
 というか少なくとも描く段階では文字を書く感じに似ていて。
 背景もいるかなーと思ったけれど
 エフェクト背景はこういう絵の姿勢にはむいていないなぁって

 以前手がけた年賀状だったり贈り物だったり
 楽しんだり輝かせたりしたいと思うときだとエフェも色技法もバンバン使っちゃいたい(理想)

 線画といっても自分が目指しているのは
 塗り絵などで見られるきれいで緻密な線(もいいしそれも並行させてはいる)もいいけれど
 多少の荒さが残る それこそ文字を書く感じの絵
 ピクシブで粗探ししたけれど
 数百点探して1作ですた
 まぁ仕方がないんだろうなぁ うーん
 描き味の手本がないし
 完全独学状態になるのかな?


サ四ワタ

 覚める時の苦しみをわかっていても、私には必要なんです。



壱。

 猫と機関車 ってゆー漫画が先月末あたりから連載始まった と聞いて

 なんていうかもう こちらから吸収しないとね

 ファンタジーってやつです。
 新連載モノなのであまり情報がありませんが
 それ以前に まだ現物を拝めていないのです
 もっというとそういった作品の存在すら知りませんでした

 自分はジャンルに拘らないからなぁ 粗探しになってしまうのがいけないのだろうが

 とりあえず。
 毎度お世話になっております(?)ケモナー御三方の一人から耳寄りな情報をいただきまして
 それがこの作品です
 というかこのところこの御方からかなりの量の情報を得ていまして
 カンシャカンゲキなのれす

 これまたいつものクセで画像の保存をしていないのですが
 1コマ目あたりにネコバスっぽいタッチのキャラがいて ジブリ(゚д゚) という意味不明なリアクションをしてしまいましたが
 もちろんそんなこたぁなかろう
 ファンタジーものだし雰囲気的に近いものがあるのかも


 週刊漫画サンデーで連載中らしいのだけど
 漫画サンデーないなぁ
 やっぱコンビニじゃ無理なのかなー
 ヤング○○とかビジネス○○はあるンだけどなー
 表紙を見る限り...見覚えはあるのだけど...この手の雑誌は全部似通ってるからのう
 単行本は当然まだ出ていないし
 これ以外の作品は興味ないし 立ち読みがいいんだけどナァ...
 期待度高いし一冊は良い値なんで 最悪買いかなー。

 とりあえず見つけるんだ 話はそれからだ。



弐。

 この人がこんな事やってるから 自分も真似したらいいんじゃないか


 ところがどっこい そんな事はないんだぜ

 
 某日の絵チャで線画に色を施していた時に思ったのですが

 あ。 あの時自画自賛だったことは忘れてください...特におかしいとは思っていませんが^p^
 やっぱりアレなんで...
 描いてて何時になく快感だったんでついry
 
 自分は影をやたらとつけたがりムラを嫌う
 自分のとなりで絵を描いていた彼は
 色の濃淡を好んでいました

 もともと着色には抵抗がありました
 自分で塗っておきながら
 完成した時には何時の間にか
 別の絵になっているのです
 カタチは当然変わりませんが
 色を塗る前まで感じ取れた 自分の作品らしいなにか
 感覚でしか感じ取れないけれど確実に存在するナニカが
 きれいさっぱりなくなっているのだから

 しかし 色を塗っている間は
 自分の納得のいくように筆を動かしている事に変わりはないのです
 悔いの残らぬようにね


 その日の明け方 何の意味もなく教育番組の美術特集をボケーっと眺めていたのですが
 印象派? と言う言葉が引っ掛かったのですよ
 これと対を成す言葉が思い出せないのですが...

 遠近法を一切使わず 色の濃淡だけで深みを出しているという
 色彩の魔術と言うべきか
 同じとか違うとかそういうことじゃないのですが
 あーそういえば といった感じで思い出したんです 今まで観て描いてしてきた絵をですね

 暫く浸っていたわけです そのまどろみに
 とにもかくにも
 これで今まで見てきた規則とも不規則とも意味有り無しともいえぬ
 それでいて独特のオーラを持つこのタッチをようやく知ることができたのです
 それが正しいかどうかなんて ないのだろうけれど 自分の中で何かがつながったのです

 けれどもし このことをアツく彼に語ったとしても
 え そうなの? という以上の応えは得られないのではないかと思ったのです

 印象派画家達が順番に紹介されていく中で
 最後に紹介されたとある御方

 若い頃から画家としての経験をつんだわけではなく
 生涯生まれの国から出たこともない 所謂日曜画家
 その人は 実際に見たこともない土地や見たこともない動物を
 図鑑等だけを見て それを空想して次々に作品を生み出していったのだと

 空想なんてその気がないと出てくるものではないし
 見たことがないからこそ その空想から出た独特なものになるのだろうし
 何よりそう描きたかったのだろう

 感覚。

 歩む中で紡がれた感覚が独自に現れるのだろうし
 何よりどんなに良い作品に触れようと
 自分の意思基感覚に合わないと取り入れられない というか取り入れないようになってるんだと思う
 それを見て感化されたらそれ寄りに変化するだろうし。

 昔どこかで
 子供に樹の絵を描かせて それを見ればその子の感情がわかる って聞いた事があるのだけど
 葉の数とか枝の数とか幹の太さとか
 強ち間違いではないと思う
 
 そして最近 自分の絵を見ていて それぞれの絵が その時の自分の状態を見事に反映していたというか
 知らず知らずのうちに反映させていたのだと思う
 寧ろ反映させる事を

 まぁそういうモンなのかもしれないけれど

 先日のシンジ君がどうとか言ってた絵 後それとは別にもう一つ似たようなタッチで描いた絵があるのだけれど
 後日自分で見返して 自分で苛立ってしまったっていうね
 アレ描いた時は やり場のない感情の処理に困ってて
 んー...

 まぁ俺は喜怒哀楽がストレートな分 自分を調節する感じで絵を描けばなんとか なるかもしれないけれど


 

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プロフィール

HN:
性別:
男性
趣味:
本に関する事なら大概は。
自己紹介:
 一応ケモノ好き。
 ポップン・DJMAXとかもちまちまやってます、出来は...ね?
 FF5・7・12系、特に12系モーグリは...ッ!
 オンラインネクソンのテイルズウィーバーのユーザーでした。引っ越しの際にアド変し忘れ入れなくなっちゃいました(´・ω・`)かーくん愛。

 FF14始めました(PS4) 。
【データセンター】:エレメンタル
【サーバー】:トンベリ 他1
【メイン】:Moa Rainer
 始めて間もないヒヨッコ。
 鯖取りの合間にサブでもう1キャラ作成しています。メインが弓なのでこっちで魔法の練習をしようかと。まだほとんど触っていないのでどこの鯖使ったか忘れました(スマヌ)。後日追記します。

 月並みですが読書家。伊坂幸太郎・村上春樹の両氏を基盤とし、守り人シリーズや獣の奏者で有名な上橋菜穂子・ミステリー小説家の宮部みゆきなど、本格的な読書家の方々には劣りますが其れなりに読み漁っております。
 不定期で文庫本漁りなど。


 基本的にあんまりこだわらない性質です。
 極めようといった事はせずにゆるーく楽しむのが私流。

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